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15センチの綿レース

小学校四年生くらいのとき、ある日学校から帰ったら家に母がいて、手提げを作ってくれていたことがありました。母は外で働いていたので、家にいることにまず驚き、それから、普段お裁縫をしない母が手提げを作ってくれたこと、そのことがとても嬉しかったのを覚えています。

やさしい黄色の、落ち着いた配色のチェック柄の手提げで、底から脇にかけて斜めに、15センチくらいの白い綿レースがあしらわれていました。母が私のために作ってくれたそのカバンは、他のどんなカバンよりも素敵で、手に取ったとき、光っているように見えたほどです。

色もチェックの配色も気に入っていたけれど、私を一番ときめかせたのはレースの部分でした。私の暮らしに初めて登場した、可愛くてロマンチックなモノでした。洋服は弟がお下がりを着られるようにと中性的な色やデザインのものばかり着ていたので、レースが付いた洋服は着たことがなかったのです。そんな私には、派手に大きくではなくて、控えめに小さく縫い付けられたレースが、ぴったりのように思えました。

あの手提げは持つたびに、私を誇らしい気持ちにしてくれたものです。このカバンを持っている女の子にふさわしい女の子になりたいと思わせてもくれました。私自身よりも上等だから、それに見合う自分になりたいと、小学生の私は思ったのです。

母が縫い付けてくれた15センチのレースは、私を少しだけ、素敵に成長させてくれたんじゃないかな。

兵どもが夢の跡

五月の、緑溢れる公園のベンチに座って、風にさざめく木々を見ていると、唐突に『ツワモノドモガユメノアト』というひとひらの言葉が舞い降りてきました。目に映る眩しいほどの木々の緑が、『夏草や兵どもが夢の跡』の夏草の緑と結びついて、この言葉を私の中からひっぱりだしたのだと思います。

夏草や兵どもが夢の跡    ー 松尾芭蕉

歴史には疎くて、詳しい背景などは全く知らないのだけど、中学校で『奥の細道』を習ったとき、かつて東北に栄えた一族があったこと、戦があり、結果その一族が没落したこと、この句は、その地を訪れた芭蕉さんが、その一連のことを思って詠んだものだと知りました。私にはそれだけで十分で、静かな夏の昼下がり、夏草を撫でながら風が空き地を渡っていく、その風の中に芭蕉さんは、遠い過去に戦った兵士たちの声を聴いたんだな、と分かりました。その声は、私の耳にも聴こえます。

『兵どもが夢の跡』という表現が持つ、慰めのようなものに惹かれます。今を生きる人間が、過去に生きた人間を、宥め、弔っている感じ。弔いながら、今この時を生きる自分も、未来の誰かから見れば、過去の兵(つわもの)なのだと知っている。今この時、この場所も、いつか必ず夢の跡となることを、知りながら今をひたむきに、懸命に生きている。『兵どもが夢の跡』は、そのことを丸ごと内包しているようで、それがかなしく、また、愛おしくも感じられるのです。

いわさきちひろさんの絵

いわさきちひろさんの絵に初めて出会ったのは小学生のときです。「窓ぎわのトットちゃん」という本を、母が、眠る前の私と弟に読み聞かせてくれていた時期があって、その本の装画がいわさきちひろさんでした。白い表紙のなかで、白い女の子が帽子をかぶり、オーバーコートを着て座っていました。その頃、私にもお気に入りのオーバーコートがあって、この女の子、どことなく私に似ているなぁと思った記憶があります。

ちひろさんの絵は、見ていると、その世界をずっと覗いていたくなります。覗いているような気持ちになるのは、その絵の世界が、ガラスケースの中の箱庭のように感じられるからかもしれません。子どもたちの仕草ごと、表情ごと、歌声ごと、彩る草花ごと、そのまんまを壊れないようにそっと閉じ込めた、華奢なガラスケースの中の世界。

小学校一年生のとき、「あのねノート」というものがありました。国語に、「せんせいあのね」で始まる文章を書いてみましょうという単元があって、それは、ひらがなやカタカナを習ったあと、生まれてはじめて文章を書くということを学ぶ授業でした。学習が終わったあと、担任の先生自作の「あのねノート」が配られて、それから学年の最後まで、先生と交換日記のようなことをしていました。私が書くことを好きになるきっかけとなった、思い出のノートです。

大人になってから、このノートを読みかえしたとき、そこにいる小さな女の子が、あまりにかわいくて驚きました。せんせいあのね、わたしはこうだよ、こうおもったよ、こんなことがあったよ、うれしかったよ、おどろいたよ、かなしくなったよ、そんなふうに語る少女は、本人の私でさえも触れるのがこわいと感じるほどに、純粋で繊細で、世界をまったく疑っていない無垢さを持っているのでした。

それ以来、ちひろさんの絵の中の子どもたちはみんな、「私たち」に見えます。その絵の世界には、過去、子どもだったときの私がいます。仲良しだったゆきちゃんも、もと君も。もうとっくに忘れてしまったような、でもまだ微かに覚えている、無垢だったあの頃の時間が、そのまま閉じ込められているようです。

いわさきちひろさんの絵を見るとき、私は私自身の過去を覗いている、覗かせてもらっている、そんな気持ちになるのです。

深い青の時間

夕飯を作っていてふと見たら、窓の外が深い青色でした。

ずっと前、アメリカに住んでいたとき、夏の日の遅い午後、友だちと一緒に映画を観て、もうすっかり真っ暗だと思って映画館を出たら、意外にもまだ少し明るくて、その時の色もそんな色でした。私は友だちに、夜がくる手前のこの感じが好きなんだよと、拙い英語で話しました。それからしばらくして、今度はその友だちの家で映画を観ていたら、女性たちが遅い夕暮れにおしゃべりしながら歩いているシーンがあって、女性のひとりが、”I like this period of the day”と言うのです。友だちは私の方を見て、”Same as you!”と嬉しそうに言いました。テレビの画面には、深い青色の中に、黒いドレスの女性たちのシルエットがかろうじて見える、そんな美しい映像が映っていました。

それからずいぶん経ってから、その時間帯のことを、英語で”blue hour”、元々はフランス語で”I’heure blue”、と呼ぶのだと知りました。その時から、私の好きな時間帯には、名前と色が付きました。それはたしかに、青い時間です。深い、深い青。ベランダに出て、そのまま溶けてしまいたくなるような。

浜辺の歌

『浜辺の歌』という歌をときどき口ずさみます。ずっと昔、中学生くらいのときに読んだ漫画の中に、主人公の女の子がこの歌を歌っているシーンがあって、それを真似してみたのが最初です。女の子は、悲しくてやるせない夜をやり過ごしたのち、明け方の海で歌います。目を閉じて、口を大きく開けて、とても穏やかな表情で。その、しなやかで逞しい姿に、当時の私は憧れました。この世の悲しみや理不尽を、歌いながらくぐり抜けていけるような、そんな人になりたいな、と思ったのです。

あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる
風の音よ雲のさまよ 寄する波も貝の色も

ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞしのばるる
寄する波よ返す波よ 月の色も星のかげも

歌いだしの『あした』は古語で、『朝』という意味です。それを知っていてもなお、歌うときには、どこかで明日のことを思って歌います。私にとってこの歌は、元気を出したいとき、背筋を伸ばしたいときに、自分で自分を励ます、痛いの痛いの飛んでいけ、のような、おまじないの歌です。

風を見る

窓際でレースのカーテンが、人知れず小さく膨らんでいる。ベランダで洗濯物が小さく揺れて、微かな音をたてている。実家では、夏になると家中の引き戸を全部はずして、そこに間仕切りがわりの、浴衣地で作った長い暖簾を掛けていました。薄い藍染のとんぼ柄。開け放った玄関から入ってくる風は、暖簾をふわりと翻しながら、家の中を通りぬけていきました。

台風の日の午後、安全な室内から、風が大きな手のひらで、木々を乱暴に撫でているのを見ているのが好きです。葉っぱはうねって裏返りながら、表の濃い緑と裏の薄い緑を交互に見せて、波打つように大きく揺れます。葉が、裏の薄い緑を見せるとき、まるで魚がその腹を見せて泳いでいるみたいだな、といつも思います。窓の近くに立って、無声映画を観るように、荒波に揉まれる魚の大群を見ています。

アスファルトに映る、木漏れ日が作る葉の影。その影が、濃淡を震わせて水面のように揺れています。風はほとんど吹いていなくて、木を見上げても葉っぱが揺れているようには見えません。それでも、路上の影は、風にくすぐられて、くすくす笑っているみたいに揺れています。その様子を、なんとなく立ち止まって見ている時間が好きです。

硝子の瓶

かつて何かが入っていた、硝子の空き瓶。ジャム、牛乳、プリン、ウニ。食べてしまって空になったら、シールを剥がして、きれいに洗って置いておく。そしてその後の予期せぬいつか、その瓶に花を生けたりする。その瓶に、かつて何が入っていたか、覚えているのもいいし、もう思い出せなくてもいい。

硝子の瓶が、瓶どうしでぶつかる時の音。カチンでもコツンでもガチャンでもない、ちょっと擬音では表せないような音。小学校のときの給食の後、給食室の近くに並べられた牛乳ケースに空き瓶を並べて返却する、そんな時に、響いていた音。早朝、牛乳配達の軽トラがやってくるときも、布団の中で耳をすませばこの音が聴こえてくる。瓶は分厚ければ分厚いほど、ぶつかるときの音は優しい気がする。

ラムネの瓶の、意味不明な形、ぼってりとした厚さ、くすんだ水のような色。それから、中に硝子の玉が入っているという、謎めいたところ。子どもの頃、ラムネの瓶と同じ色のビー玉をひとつ持っていて、光に透かすと、小さな気泡がいくつも散らばっていて、それが宇宙のようでした。ラムネの瓶から取り出されたものなのかどうかわからなかったけれど、そうだったらいいのにな、と思っていました。一度だけ、こっそり飴玉みたいに口に入れてみたことがあります。それは冷たくて硬くて、硝子の味がしました。

ハナミズキ

白いのもピンクのもどちらも好きだけど、どちらかひとつだけと言われたら、白い方を選びます。乳白色の花びらの先に、ほんの一滴だけ紅をのせて、あとは葉っぱの緑が反射して、うっすらと緑がかっている様子が美しいです。庭先とか公園よりも、街路樹として咲いているのが好きです。春の街で、誰よりもたおやかに微笑んでいます。

葉っぱの上に儚げな花びらが、ふわっと乗っかるみたいにして咲いている姿がいいんだけれど、ずっと前、ハナミズキという花の存在を教えてくれた祖母は、その時同時に、でもあれは花ではないんだよと教えてくれました。くわしいことは知らないけれど、紫陽花と同じように、あれは花ではないらしい。でも、私のなかでは、ハナミズキも紫陽花も、どうしたってやっぱり花です。

ハナミズキは花水木。本当は漢字で書きたいし、ハナミズキと口にするとき、私はいつだって、花水木と思って口にします。「花(はな)」「水(みず)」「木(き)」漢字をみっつも使う名前で、全部を訓読みする花って他にあるかな?そういうところも、かわいらしくてとても好きです。