五月の、緑溢れる公園のベンチに座って、風にさざめく木々を見ていると、唐突に『ツワモノドモガユメノアト』というひとひらの言葉が舞い降りてきました。目に映る眩しいほどの木々の緑が、『夏草や兵どもが夢の跡』の夏草の緑と結びついて、この言葉を私の中からひっぱりだしたのだと思います。
夏草や兵どもが夢の跡 ー 松尾芭蕉
歴史には疎くて、詳しい背景などは全く知らないのだけど、中学校で『奥の細道』を習ったとき、かつて東北に栄えた一族があったこと、戦があり、結果その一族が没落したこと、この句は、その地を訪れた芭蕉さんが、その一連のことを思って詠んだものだと知りました。私にはそれだけで十分で、静かな夏の昼下がり、夏草を撫でながら風が空き地を渡っていく、その風の中に芭蕉さんは、遠い過去に戦った兵士たちの声を聴いたんだな、と分かりました。その声は、私の耳にも聴こえます。
『兵どもが夢の跡』という表現が持つ、慰めのようなものに惹かれます。今を生きる人間が、過去に生きた人間を、宥め、弔っている感じ。弔いながら、今この時を生きる自分も、未来の誰かから見れば、過去の兵(つわもの)なのだと知っている。今この時、この場所も、いつか必ず夢の跡となることを、知りながら今をひたむきに、懸命に生きている。『兵どもが夢の跡』は、そのことを丸ごと内包しているようで、それがかなしく、また、愛おしくも感じられるのです。
