いわさきちひろさんの絵

いわさきちひろさんの絵に初めて出会ったのは小学生のときです。「窓ぎわのトットちゃん」という本を、母が、眠る前の私と弟に読み聞かせてくれていた時期があって、その本の装画がいわさきちひろさんでした。白い表紙のなかで、白い女の子が帽子をかぶり、オーバーコートを着て座っていました。その頃、私にもお気に入りのオーバーコートがあって、この女の子、どことなく私に似ているなぁと思った記憶があります。

ちひろさんの絵は、見ていると、その世界をずっと覗いていたくなります。覗いているような気持ちになるのは、その絵の世界が、ガラスケースの中の箱庭のように感じられるからかもしれません。子どもたちの仕草ごと、表情ごと、歌声ごと、彩る草花ごと、そのまんまを壊れないようにそっと閉じ込めた、華奢なガラスケースの中の世界。

小学校一年生のとき、「あのねノート」というものがありました。国語に、「せんせいあのね」で始まる文章を書いてみましょうという単元があって、それは、ひらがなやカタカナを習ったあと、生まれてはじめて文章を書くということを学ぶ授業でした。学習が終わったあと、担任の先生自作の「あのねノート」が配られて、それから学年の最後まで、先生と交換日記のようなことをしていました。私が書くことを好きになるきっかけとなった、思い出のノートです。

大人になってから、このノートを読みかえしたとき、そこにいる小さな女の子が、あまりにかわいくて驚きました。せんせいあのね、わたしはこうだよ、こうおもったよ、こんなことがあったよ、うれしかったよ、おどろいたよ、かなしくなったよ、そんなふうに語る少女は、本人の私でさえも触れるのがこわいと感じるほどに、純粋で繊細で、世界をまったく疑っていない無垢さを持っているのでした。

それ以来、ちひろさんの絵の中の子どもたちはみんな、「私たち」に見えます。その絵の世界には、過去、子どもだったときの私がいます。仲良しだったゆきちゃんも、もと君も。もうとっくに忘れてしまったような、でもまだ微かに覚えている、無垢だったあの頃の時間が、そのまま閉じ込められているようです。

いわさきちひろさんの絵を見るとき、私は私自身の過去を覗いている、覗かせてもらっている、そんな気持ちになるのです。